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朝原宣治

プロフィール

1972年6月21日生まれ 兵庫県出身
中学時代はハンドボール部で全国大会出場。
高校時代から陸上競技に本格的に取り組み、走り幅跳び選手としてインターハイ優勝。高校卒業後は同志社大学に進み、国体100mで10秒19の日本記録を樹立。
その加速力から「和製カール・ルイス」と呼ばれた。
大学卒業後は大阪ガス株式会社に入社、ドイツへ陸上留学。初出場の1996年
アトランタオリンピックの100mで準決勝に28年ぶりに進出。
自身4度目となる2008年北京オリンピックの4×100mリレーでは、チームのアンカーとして、悲願の銅メダルを獲得。同年9月に競技生活引退(36歳)。
世界陸上には6回出場。
2010年に陸上クラブ「NOBY T&F CLUB」を設立。これは大阪ガスグループの地域貢献活動の一環でもあり、引退後も自身のキャリアを社会に生かそうと精力的に活動を続けている。

出身地

  • 兵庫県

依頼料

  • 別途ご相談ください

キーワード

  • オリンピック / 夢 / 経験

主な講演テーマ

諦めなければ夢は叶う

現役時代は4度のオリンピックに出場。
4度目の北京オリンピック。4×100mリレーのアンカーとして初のメダル(銅)を獲得。
その時朝原は36歳。年齢的には最後のオリンピック。
その最後と挑んだオリンピックで夢が叶った。
諦めない気持ちを持つ事の大切さについて、陸上競技人生を交えてお話します。

講演ジャンル

夢を追いかけて

現役時代は4度のオリンピックに出場。
4度目の北京オリンピック。4×100mリレーのアンカーとして初のメダル(銅)を獲得。
その時朝原は36歳。年齢的には最後のオリンピック。
その最後と挑んだオリンピックで夢が叶った。
諦めない気持ちを持つ事の大切さについて、陸上競技人生を交えてお話します。

講演ジャンル

二人三脚でつかんだ栄光のメダル

妻、奥野史子はバルセロナオリンピックで銅メダル2個獲得。
その時、朝原はまだオリンピック出場も現実的ではなかった。
しかし、その後オリンピックに4度の出場を果たし、4度目となる北京オリンピックで
銅メダルを獲得。夫婦の念願だったメダル獲得のまでの軌跡をお話します。

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