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松中信彦

プロフィール

1973年、熊本県八代市出身
元プロ野球選手
左投左打

小学校4年生から野球を始め、八代一高(現 秀岳館高)から新日鐵君津に入社。
1996年 日本代表に選ばれアトランタ五輪へ出場し、決勝のキューバ戦で同点満塁本塁打を放ち銀メダルを獲得。
その後1997年福岡ダイエーホークスに入団すると3年目から不動のレギュラーに定着。
その打撃で弱小だったホークスを常勝軍団に導いた。
WBCでは王監督の日本代表で4番を打ち世界一。
2004年には、NPBにおける平成唯一かつ最後の三冠王に。
プロ通算352本塁打で、NPB史上初の3年連続120打点達成者。

現役引退後は、野球解説者として様々なメディアで活躍している。

出身地

  • 熊本県

依頼料

  • 別途ご相談ください

キーワード

  • 野球 / オリンピック / 努力

主な講演テーマ

松中信彦に聞く、期待に応え続けるには。

アトランタ五輪での同点満塁ホームランやWBCでの金メダルなど、大舞台での活躍が多かった松中信彦。
4番バッターという期待と重圧、その中で自分のチカラを発揮して活躍し続けるには。

自分のチカラを最大限に生かす方法、自分のチカラを発揮する方法など
松中信彦の極意を語ります。

講演ジャンル

三冠王になるまでの道

ダイエーホークスへ入団してから2年間、木のバットに苦しみながらも、
王監督の下、チームが”戦う集団”へ変わっていくとともに、チームに欠かせない存在になる。
常勝軍団へと変貌を遂げるチームの中で、主軸を担い、選手会長も務めた。
度重なる怪我にも苦しみながらも自分のバッティングホームを見つけ、
平成最初で最後となる三冠王に輝いた松中信彦が19年間の現役生活を語ります。

講演ジャンル

夢を持つことの大切さ

小学生から野球をはじめ、高校生で左ひじの怪我を抱えながらも右投げへの転換で野球を続け、就職後も野球を続ける。
甲子園に出ていなくても、夢を持っていればプロ野球選手になれる。
ダイエーホークス初のリーグ制覇・日本一に貢献し
ソフトバンクホークスを常勝軍団へと導いた1人でもある松中信彦が、夢を持つこと、努力継続することの大切さを語ります。

講演ジャンル

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