
プロフィール
「ジャイアン」の愛称の通り豪快なホームランとその性格で多くのファンから愛された大打者。
小学4年生から野球を始め、中学時代は本塁打を打ったことがなく、大会も1回戦負け。高校も強豪・愛知工業大学名電高校に進学するも甲子園への出場経験はなかった。
しかし中学時代には陸上部の助っ人としてボール投げの大会に出場すると、県大会優勝、全国大会でも準優勝を果たす。さらに相撲部への助っ人としても全国大会出場し、複数の相撲部屋からスカウトされた経歴を持つほど身体能力の高さを誇る。
1987年に愛知工業大学名電高校からドラフト2位で地元・中日ドラゴンズに入団。アメリカやドミニカへの留学などを経て、プロ10年目の1996年にレギュラーに定着。するとその年に松井秀喜との壮絶な争いを制し本塁打王を獲得。
その後、2003年のオリックスへの移籍を経て、2005年からは楽天の創設メンバーとして活躍。創設期から主将を務めるなどチームを支え、2007年には39歳で本塁打王、打点王の2冠王に輝き、ベテランの域に達してもなお第一線で活躍する姿は「中年の星」として大きな支持を集めた。
2012年からは古巣の中日に復帰し、翌2013年に現役引退。
引退後は野球解説者・スポーツコメンテーターとして活動する傍ら、講演会の講師やスポーツカーなどの多趣味と豪快なキャラクターを活かして活躍中。
また引退後も「いつまでも何かに挑戦していたい」という考えからOTG TN 滋賀(大阪トヨペットグループ 滋賀トヨタ/ネッツトヨタ滋賀)のレーサーとしてTOYOTA GAZOO Racing 86/BRZ Raceにも参戦している。
現役時代から慈善活動にも尽力しており、2008年の岩手・宮城内陸地震の際にはシーズンのホームラン数28本に応じた280万円を被災地である宮城県栗原市に寄付、同市は感謝を込めて市営栗原球場の名を「山崎武司球場」と改めた。
現在も宮城県柴田郡村田町のスポーツランドSUGOで開催されるレースに出場する際には「東日本大震災みやぎこども育英募金」に毎年寄付を行っている。また年末には「がんばろう東北!東日本大震災復興支援山﨑武司チャリティーゴルフコンペ」を主催し寄付を行うなど自身が復活を遂げた宮城、東北への恩返しを続けている。
その他にも愛知、宮城、岐阜、三重などで自身の名を冠した少年野球大会を開催し、青少年の育成にも貢献している。
出身地
- 愛知県
依頼料
- 別途ご相談ください
キーワード
- プロ野球 / チームメイト / 教訓