ヘルプ
奥寺康彦

プロフィール

1970~80年代、世界最高峰のリーグと言われたドイツのブンデスリーガで活躍した初めての日本人選手である。
その正確無比で安定したプレースタイルで、ドイツのファンからは「東洋のコンピューター」というニックネームで呼ばれ賞賛された。

99年に横浜フリューゲルスのサポーター有志で結成された「横浜フリエスポーツクラブ」(横浜FC)のゼネラルマネージャーに就任、
2000年からは代表取締役社長を兼任し、現在は取締役会長を務める。
その一方では、講演、サッカー教室などの活動や、テレビ、新聞、雑誌などでヨーロッパサッカーの解説も行い、日本サッカーにとどまらずヨーロッパのサッカーをサッカーファンに伝える活動をしている。

出身地

  • 秋田県

依頼料

  • 別途ご相談ください

キーワード

  • サッカー / 海外 / 経験

主な講演テーマ

世界のサッカーと日本のサッカー

日本人プロ1号として1970年代最強だったブンデスリーガにわたった奥寺康彦。
ドイツに渡ることを決断した当時の監督の言葉、そして家族の支え。
そして海外のチームは奥寺のどこに魅力を感じていたのか?
9年間のドイツでの選手生活で奥寺が得たサッカー観と海外生活についての体験談。
日本サッカーがこれから進む方向に対する独自の考え、これは企業の海外進出、
海外で仕事を考えている方への参考になると思います。

講演ジャンル

ご相談は、いつでも無料です

DMM英会話やDMM FXなど
CMでもおなじみのサービスで実績があるDMMにおまかせください。
「どんな人を呼べばいいか分からない...」という方もまずはお気軽にご相談ください。

03-5797-8924

受付時間 10:00〜19:00(土日祝日を除く)

メールでのお問い合わせはこちら

pagetop